一歩一歩ブログ

こころの病気とともに生きる

ジェーン・スー著『介護未満の父に起きたこと』を読んで

  書店で目にして、気にはなっていたが「介護未満」の文字がひっかかってなかなか手に取らずにいた本書、とうとう読んだ。

 「介護未満」にひっかかったのは、

父89歳、昨年の夏から心臓カテーテル×2、硬膜下血腫手術×2

母80歳、白内障手術×2

 を経験し、 要介護度も父要介護2、母要介護1でケアマネさんはじめ訪問看護さん、ヘルパーさんなど介護のプロの方々のお世話にすでになっているからである。果たしてダイレクトに得るものがあるだろうか、と二の足を踏んだのである。

 

 しかし、「ビジネスライクに介護を進める」という、一見すると誤解を受けそうな著者の介護スタイルは、本書を熟読する前からどこかで目にし、「淡々と介護にあたる」という自分なりの対処法を編み出したことにつながったと思う。

 

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そして、介護が一息ついた今、本書を再び読んでみようという思いに至った。

 

 本書は2020年~2023年の著者の連載をもとに構成、加筆修正、改題し、書下ろしを加えたものである。著者のご尊父の82~87歳(2025年現在)のようすが描かれている。面白いのは、著者が介護のためにビジネス書を片っ端から読み、ご尊父の諸問題をビジネスタスクに見立てて図解として落とし込み、解決案を記していくという徹底ぶりである。著者はご尊父のケアを「終わらないフジロックフェスティバル」だと思うことにした、と言う。親子のことを気持ちのぶつかり合いで処理できるのは、子が成人になるまで。親が老いたらそれは尚更難しく、漠とした不安に押しつぶされそうにもなる。ならばビジネスライクに進めようと試行錯誤を続けた結果、この結論に達したらしい。以下抜粋

 

ーー父は往年の海外一流アーティスト。たとえばザ・ローリング・ストーンズミック・ジャガーだ。~中略~

  私は招聘元で、とにかく今日のステージがうまくいけばそれで良しと考える。ビッグアーティストだから言う事もコロコロ変わるし、こちらが言ったことも忘れる。相手がミック・ジャガーなら、私はそれを真正面から咎めることはしないだろう。ーー

 

ーーすべては、精神的・肉体的に健やかな一人暮らしを一日でも長く続けてもらうため。それが父のフジロックだから。ーー

 

 とも、著者は言う。私は先日の母の白内障手術の手伝いのとき、「淡々と」介護にあたることに徹した。そうすることで愛着障害を持つ自分と折り合いをつけたのである。結果、やるべきタスクは全てつつがなく遂行され、心の葛藤は最小限に済み、両親には感謝さえされた。著者同様、それは、肉親に対する真摯なコミュニケーションとは言えないかもしれない。でも、それが私の両親にとっても精神的・肉体的に健やかな二人暮らしを一日でも長く続けてもらうためなのだ。

 

 著者は、介護においてビジネスライクに物事を進めてはいるが、同時にご尊父のためでなく自分よがりの行動になっていたのではないかと反省し、日々「うっすらとした罪悪感が完全に拭えたことはない。」とも吐露している。

 

 私も、先日母とラインでやり取りしていて、

私「こちらの気持ちも考えてよ。」

母「そっちこそ考えてよ!」

 と言われたばかりである。

 

 この言葉は私に深く刺さり、介護を淡々と進めるにしても、それが両親の健やかな生活が続くためであることを第一義とし、両親の生き方を尊重すること、両親の人生であることを忘れてはならないと思った。

 最後に著者は、

ーー自分がどんな老人になるかはわからないが、父が見せてくれる「老い」を引き続きつぶさに観察していこうと思う。それが、追々自分の老後に役立つと信じて。ーー

 

と結んでいる。私自身ももう若くはない。「介護は自分の老いの予習である。」との言葉を目にしたこともある。介護を通して自分はどう生き、どう死んでいくのかも考えていきたい。